邪魔はどっち?

 


目を覚ますと、傍らの温もりはとうに消えていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
のそりと上半身を起こし、覚醒しきらない頭で周囲を見回す。広くもないベッドルームは自分以外誰もいない。が、スザクは焦りはしなかった。
野生動物並みとよく言われる感覚はキッチンで立ち働く気配をとうに捉えている。立て付けの悪い扉の隙間からは熱した油の匂いが細く漂ってくる。ああ、朝ご飯を作ってくれているのだなと、ごく自然に思えた。
裸足のまま、床に下りる。短期で借りたこのバンガロー内では土足厳禁にして、スザクとルルーシュ、それとC.C.は裸足で過ごしていた。日本人であるスザクはともかく、ルルーシュやC.C.が意外なほど裸足に抵抗がない。C.C.は昔は靴なんか貰えなかったと小さく笑い、ルルーシュは自分のテリトリーの中にいる時くらい楽にしたい、のだそうだ。
いつ追っ手が来るかわからないこの状況下、本来ならば常に靴を履いて過ごした方がいい。それこそ寝ている時でもだ。だが、ルルーシュはそうしなかった。それはまるで、スザクがどうにかしてくれるだろうという無言の信頼のようで。
寝癖が付いたままの茶色の頭をポリポリと掻きながら、スザクはキッチンへと続く扉を開けた。
キッチンは、白い光に溢れていた。
その、光の中。
見慣れた白いシャツ。細い背中。細い肩。細く長い首。
ふ、と。
スザクの気配に気付いたのか、ルルーシュが振り返る。
朝の白い光を浴びて、哀しいほど清冽に。
「おはよう、スザク」
「――――おはよう、ルルーシュ」

神根島から脱出してから10日が過ぎた。三人はエリア11の圏内を離れ、ブリタニア本土へとひそかに潜入していた。蜃気楼はもちろん、ランスロット・アルビオンの識別コードをも書き換えたルルーシュは、今最も安全な場所としてブリタニア本土を選んだのだ。
広大な針葉樹の森林が広がる公園の中のバンガローを占拠した三人は、疲れた心と体を休めることに専念した。一番体力のないルルーシュはもちろん、体力馬鹿ことスザクや、死と老化とは縁のないC.C.もひどく疲れていたらしく、数年は放置されていただろうバンガローをそこそこ磨き上げると、二日ほどひたすら眠り続けたのだ。
スザクはルルーシュを抱え込み、C.C.は反対側からルルーシュにそっと寄り添って。

――――まるで、腕の中の儚い存在を奪われないように。

「スザク?」
はっとする。
気が付けば、ルルーシュは怪訝そうにスザクを覗き込んでいる。寝起きは悪くないはずなのにボーっとしているスザクを不思議に思ったのだろう。
「どうした? まだ寝ているのか?」
「ん、いや。‥‥‥ご飯なに?」
「大したものはない。昨夜の雉の丸焼きをスライスしてサンドイッチにして、後は目玉焼きだ。スープは野生のオニオン」
「味噌汁食べたい」
「俺に味噌から作れと?」
「できるよね、ルルーシュ」
「作り方は知っているが、あのなあスザク。味噌というのは本来数軒の家が共同で家族総出で作るものなんだ。それくらい重労働なんだよ」
「ちえー」
「18の男が拗ねても可愛くない。ほら、さっさとC.C.を呼んでこい」
「はーい。どこいったの」
「森だ。懐かしいみたいだな」
「ホント、幾つなのさ。あいつ」
「知らん」
会話をしながらもてきぱきてきぱき。
ホントいい奥さんになれるよなあと、ルルーシュが聞いたら怒り狂いそうなことを考えながら、スザクは近くの町で購入したスニーカーを引っ掛けてバンガローを出た。
ひゅうと、冷たい風が何も羽織っていない上半身を撫でる。鍛えられた肉体はこの程度で肌寒さを感じることはない。むしろ、濃厚なオゾンは心地いいほどで、スザクは深呼吸を繰り返して、どこか懐かしい緑の空気を思い切り吸い込んだ。

――――逃亡者なのにね。

こんなにのんびりとしていていいのだろうかと、ふと思う。
その反面、もうこのままでもいいんじゃないか?とも思う。この地でなら、スザクはルルーシュを憎む必要はない。ルルーシュも嘘をつく必要はない。C.C.は邪魔だが、ルルーシュを恋愛対象と見てない分まだ心落ち着ける。これがシャーリーであったりしたら、とてもこんな風ではいられなかっただろうけれど。
「心が狭いな、僕は」
「なにを今更」
「‥‥‥独り言に突っ込むなよ」
「ああ、すまんな」
まったくすまないとは思っていない抑揚のない口調で、男物の大きすぎるシャツを羽織った少女はライムグリーンの長い髪を揺らしてスザクの脇をすり抜ける。
「朝飯か」
「ああ、おまえを呼んでこいと」
「なあ、ひとつ気になっていたんだが」
「なんだ」
「どうしておまえは、あいつは「君」で私は「おまえ」と呼ぶんだ?」
「そんなの」
少女の問いに、スザクは鼻で笑った。
「邪魔だからに決まってるだろ」
「‥‥‥本当に心の狭い男だな」
「今更なんだろ」
悪びれもしない男に、C.C.は深々と息を吐く。
「あいつも苦労する」
「おまえにだけは言われたくない」


勝者、枢木スザク。