銃声が響いた。
たった一発の銃弾は、悪逆皇帝の名を欲しいままにした少年皇帝を打ち抜き、無様にも床に転げさせた。華麗だった白い服は埃で薄汚れ、徐々に真っ赤な血に染められていく。


「ここにブリタニアは倒れた! 悪逆皇帝とともに! このゼロの手によって!」


その引き金を引いたのは死んだはずの仮面の男。黒衣を纏ったエリアの救世主ゼロは、世界に向けて高らかにそう宣言をした。
悪逆皇帝の死。
それは、神聖ブリタニア帝国という巨人が事実上倒れた瞬間だった。


「‥‥‥お兄様!」
全世界に向けて流されたカメラのスイッチが切られ、茶番の幕が完全に降りる。と、同時に、今まで声を出さないよう口を抑えられていた少女は開放され、涙に濡れた悲鳴が上がる。
9年ぶりに開かれた菫色の瞳は涙に濡れて、動かない足のかわりに必死に腕を使って、倒れた兄の許へ這いずっていこうとする。
少女とともにこの茶番を舞台の外から見ていることしかできなかったカレンは、壊れたようにお兄様と繰り返す声に我に返る。けれど、どうしていいかわからない。倒れたかつての主に駆け寄ればいいのか、少女に手を貸せばいいのか、崩壊を始めたこの要塞から脱出すればいいのか。
わからない。何も。
どうしてこんなことになったのかも。


「お兄様、お兄様‥‥‥っ!」
「もう止めてくれないか、ナナリー」


ルルーシュの側近くに立つ、仮面の男の変声器越しの台詞に、カレンは怒りに目の前が真っ赤になった。
それは、ゼロの声だ。
ゼロの声だ。ゼロの、ルルーシュの声なのだ。
それなのに、その仮面の下にあるのは、その顔は!
「‥‥‥スザクうっ!」
「なんだい、カレン」
かたん、と音を立てて、黒い仮面が落ちる。
その仮面の下にあるのは、ルルーシュであるはずだ。もしくは共犯者であるC.C.。それ以外はカレンには認められない。認めたくない。その仮面を被れるのはルルーシュに信頼されている証だから。代役を頼めるほど、ゼロの理念を理解し、ルルーシュを理解している証明だから。
あのルルーシュが、 頼りにしているということだから。


射殺さんばかりに睨みつけてくるカレンを一瞥すると、スザクはすぐに興味をなくしたように顔を背けた。そして、纏っていたゼロの黒衣を脱ぎ去り、下手な大根役者のように舞台に立ち尽くすシュナイゼルに熱のない視線をくれる。
「【ゼロ】が命じます。シュナイゼル、あなたはこれから残ったブリタニアの臣民を纏め、超合衆国へと参加し、ブリタニアの復興に尽力してください」
「わかりました」
「今回の戦いで、ブリタニアは兵士を中心に、人口を大幅に減らしました。これで、超合衆国側の懸念は解消された」
「あ‥‥‥」
カレンとともに突入し、その場に立ち会っていたジノが、ぽかんと口を開ける。
「合衆国ブリタニアは、現在の時点では超合衆国の主席となることはない」
人口の比率だけでいえば、だが。
これから先はわからない。超合衆国の構想は全てルルーシュの頭の中にあった。各国の軋轢を最小限に留めながら、超合衆国の手綱を取ることは、神楽耶には無理だ。これから学び、成長したとしても、彼女にはできない。気構えや自覚だけではない、才覚自体が彼女にはない。
彼女は、皇は象徴であるからだ。旗頭として、日本そのものとして、そこにあるのがかの血筋の役目。神を祭るのは枢木が。財を為すのは桐原が。京都六家はそれぞれ役を担い、長きに渡り皇家を支えてきたのだ。
彼女自身に力などない。あるのはただ、旗頭の矜持だけ。
おそらくは、もって数年。それも合衆国中華の後ろ盾があってこそ。黒の騎士団はこの戦争が終わったことにより、無用のものとなる。いやむしろ、存在自体が邪魔だ。あれを後ろ盾にする危険性に神楽耶が気付けなければ、一年もたたず失脚するだろう。
そうして台頭してくるのは、合衆国ブリタニア。
「ブリタニアの復興に尽力する」シュナイゼルを頭にしたかの国は、その実力を遺憾なく発揮して超合衆国の主席となるだろう。
「それがあんたたちの目的なの?! 超合衆国を乗っ取るつもり?!」
「無能な主席よりましじゃないか? トップが無能だと下に付くものがどうなるか、勉強してこなかったのか? カレン」
「あんたなんかに言われたくないわよ!」
「まあ、下が無能でもトップが苦労するみたいだけどね。自分で何も考えず、目の前に提示された自分に都合のいい情報だけを鵜呑みにしてトップを放逐するような連中、このシュナイゼルでも簡単に捻り潰せるだろう。協力してあげてくださいね、マルディーニ」
「‥‥‥わかったわ」
ナナリーを抑えていたカノンは、かの少女を解放すると、力尽きたように床にへたり込んでいた。彼は神ではなくマリオネットになった敬愛する主を哀しげに見つめると、力のこもらない声で答えた。


沈黙が訪れる。
だが完全にではない。ダモクレスは突入の際に破壊されつくし、今も高度を下げている。地上に落下するのが先か。それとも爆発するのが先か。
そして。


「お兄様‥‥‥っ!」
少女の這いずる音。
ようやく開いた菫色の瞳で一心に兄を見つめ、近づこうとしている。耐え切れなくなったカレンは手を貸そうと足を踏み出そうとする。
少女の指先が、ようやく兄に触れようと伸ばされて。
けれど。

 

その指は、空を切った。

 


ルルーシュの傍らで、倒れた彼を見下ろすようにして立っていたスザクが、ナナリーが触れる前にルルーシュを抱き上げたのだ。
「スザクさん」
「もう止めてくれと言っただろう? ナナリー」
冷たい声に、ナナリーはびくりと体を振るわせた。
ナナリーはスザクの顔を知らない。日本に送られた時にはもう目が見えなかったのだから当然だ。だけど、声は知っている。触れてくる手も知っている。優しい気配を知っている。
しかし、今目の前に立つスザクと呼ばれる男からは、そのどれも感じられない。
ただただ、冷たい視線と冷たい気配をナナリーに突きつけてくる。

‥‥‥怒っている?

冷たい怒りの波動に、ナナリーは呆然とした。
なぜスザクがそんなものを自分に向けるのか、わからなかった。怒るのは、自分ではないのか? 兄もスザクも、目の見えない自分にずっと嘘をついていた。嘘をついて、酷いことをしてたくさんの人間を殺していた。そしてスザクは、兄までも殺したのだ。
怒るのは自分のはずだ。なのに、何故。

 

「ルルーシュはやっと休めるんだ」
スザクは、抱き上げたルルーシュの白い頬にそっと自分のそれを寄せた。
「ずっとずっと、一人で頑張ってきたんだ。日本人に蹴られても殴られても、ブリタニア人に殺されそうになっても、ずっと頑張っていた」
それも、もういいんだ。
「やっと、明日のことを気にしないで眠れるんだ。もう起こさないでくれ」
「‥‥‥いやです」
呆然と呟くナナリーに、スザクは口の端を引き上げた。
「君はわがままだね。昔から変わらない。いつだってルルーシュを独占しようとする」
「だって、私のお兄様です!」
「そうだよ。君はルルーシュの妹だ。妹を守ってくれとルルーシュが言うから、僕も君を気にかけていたけどね。本当は大っ嫌いだったよ。昔から。君もそうだろ?」
「‥‥‥ええ、スザクさんなんか大嫌いです。いつだってお兄様を勝手に私の側から連れ出して、二人で遊びにいって」
「その後は嫌がらせで熱出してたよね。あれは腹が立ったなあ」
「私からお兄様を取り上げるからです。返してください! お兄様を!」
「嫌だね」
「スザクさん!」
ナナリーは叫び、細い腕を伸ばした。それがスザクの足に触れる前に、スザクは一歩、後ろに下がる。怒りに爛々と目を輝かせた少女が這いずり、手を伸ばすたび、一歩、また一歩と。

 

「やっと休めるんだって、言ったろ?」
スザクは静かに呟いた。
「ルルーシュの願いだ。君は生かす。マルディーニ、シュナイゼルとナナリーをつれて脱出してください」
「わかったわ」
さ、とカノンはナナリーの肩に手を置いた。だが、ナナリーはお兄様と繰り返すばかりだ。スザクを睨むばかりだ。そんな少女に疲れたため息をこぼすと、年齢よりもか細い体を軽々と抱えあげた。
「私たちは脱出するわ。あなたは?」
聞くまでもないことはわかっていた。けれど。
‥‥‥今まで見たことがないほど晴れやかに、18才という年齢の青年らしい屈託のない笑顔を浮かべるスザクに、カノンは眩しいものを見るかのように目を細め、そして苦笑した。
「‥‥‥お疲れ様」
「あなたも」
カノンはそれきり後ろを振り返らず、抱えたナナリーとシュナイゼルの手を取って扉へ向かう。
「あなたたちも行くわよ」
「でも!」
「わからない? 邪魔なのよ」
冷たい視線で痛烈に告げられた事実に、カレンは一瞬目を見開き、それから唇を噛んだ。悔しさに肩を震わせる。が、ここに残る資格は自分にはない。わかっている、そんなことは。自分でその資格を捨て去った。わかっているのだ、そんなこと!
「‥‥‥ルルーシュ!」
返事など、返るはずもなく。
崩れ始めた庭園の向こう、眠る母親に縋る子供のようなスザクがいた。
ルルーシュは、見えない。
カレンには、もう。

 


「君は怒るかな。約束を破ったと」
誰もいなくなり、ようやく静かになった庭園の中、スザクはルルーシュの白い頬を撫でながら、困ったように笑った。
ルルーシュとの約束。それは、ユフィの敵を討たせること。そのかわり、スザクは生きること。
ルルーシュが死ねば、ギアスという悪魔の瞳を持つ人間は一掃される。C.C.がまた誰かにギアスを与えれば話は別だが、彼女はもう誰にも与えはしないだろうと、二人とも不思議と確信があった。
「ナナリーのことは謝らないよ。嫌いだったのは本当のことだ。もう、嘘をつく必要はないだろ?」
あの夏の日に出会った綺麗な男の子と、か弱い女の子。弱いのだから守らなければと思ったけれど、それだけだ。めったに自分を頼らないルルーシュが守ってくれと言ったから。そうでなければ、近づきもしなかった。
いつだってルルーシュを独占するナナリーが、本当は嫌いだった。
そして、ナナリーもまた。
ブリタニアでは友達なんかいなかったと呟いた時の、その表情を掠めたほの暗さ。スザクは特別なのだと、だから疎ましいのだと、言葉を飲み込むことになれつつあった少女は表情で語った。
「気付いてなかったのは君だけだよ。変なところフィルターがかかるのはあの頃からだったんだな」
ぱらぱらと、細かい瓦礫が降ってくる。
スザクは、降り止まないそれからルルーシュを守るように、覆いかぶさるようにして抱きしめた。
「‥‥‥約束、破ってごめんね。でもさ」
――――僕だってもう、疲れたんだ。
日本を取り返すために、ブリタニアを変えるために、ユフィの敵をとるために、ずっとずっと戦ってきた。だけど、どれほど戦って他人を踏みつけにしても、何も為すことはできなかった。何ひとつ、手にできなかった。
この手に残ったのは、何度も捨てようとしてできなかった、ルルーシュへの友情。
ただ、それだけ。でも、それで充分。
大切なものは、それだけだった。ずっと。ずっと。
「いいじゃないか。許してよ」
震動が激しくなってくる。天井が崩れ、床に大きな穴が開く。
殺戮の女神を抱いた要塞が、崩れていく。


スザクは、眠るようなルルーシュに子供のように笑いかけると、ぎゅっとその細い体を抱きしめた。

 

だって俺たち、友達だろ?

 

 

 

「あ」
ミレイが声を上げた。
アッシュフォード学園から灰に覆われて薄暗い空をぼんやりと見上げていた彼女は、ふと、何か輝くものを見たような気がした。
「‥‥‥あれは」
それは、幻のように一瞬で消え去り、もう二度と輝くことはなかった。

 

花火をしよう。
アッシュフォードで。全てが終わったら――――